FC2ブログ
環境緑化・防災・安全資材

四街道市

鹿放ヶ丘ふれあいセンター (歴史民俗資料室)

昭和20年10月、終戦の混乱と食糧不足は深刻をきわめていました。
その後、約2,400ヘクタールにわたる関東一の大砲射撃場であった下志津原の旧陸軍演習地に
復員開拓者の方々が入植しました。
その中には、下志津原開拓本部の要請により茨城県内原の満蒙開拓青少年義勇軍内
原訓練所基幹学校より援農に来た百数十名の少年たちがいました。
その後、入植した少年たちは苦難の日々の中、無我夢中で約257ヘクタールにおよぶ
鹿放ヶ丘地区開拓を進め、戦後復興を目指しました。
当時実際に使われた生産用具等を年表や資料と共に展示しております。


昭和20年代 パン発酵機 


作物選別機(唐箕) 麦の調整に使っていた。


大砲の弾 


火の見櫓には一般に、その上部に半鐘が設けられた。
これにより町内の火災を発見した番人がすぐに警鐘を鳴らし、火消を招集するとともに町人に
火災の発生を知らせる役割を担う即応態勢が取られた。
また町によってはこの半鐘を時報や各種情報発信に用いている場合もあり町ごとに鐘の鳴らし方が
決められ、その長さや間隔によって様々な情報発信に使われていた。
スポンサーサイト
2016-01-27 : その他 : コメント : 0 : トラックバック : 0
Pagetop
コメントの投稿
非公開コメント

Pagetop
« next  ホーム  prev »

かんぼう屋本舗


フリーエリア

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード